四王堂

十一面観音立像

十一面観音立像

重要文化財 平安時代 木造漆箔 像高590.8㎝
十一面観音立像

左手に華瓶(けびょう)、右手に錫杖(しゃくじょう)を執る長谷寺式の十一面観音像で、像高一丈八尺(約6m)の巨像。もとは京都・白河二条に所在した鳥羽上皇の御願寺・十一面堂院の本尊として、久安元年(1145)仏師円信(えんしん)によって造立された像であった。十一面堂が寛喜元年(1229)に顚倒後、損傷して60年近く放置されていた本像を、亀山上皇が信任していた叡尊上人の西大寺に移し預けんとする院宣によって、正応二年(1289)に当寺四王堂に移安された客仏本尊である。

四天王像

四天王像ならびに邪鬼

重要文化財 邪鬼・奈良時代 / 本軀・室町時代
銅造(多聞天は木造) 像高221㎝~236㎝
四天王像

天平宝字8年(764)藤原仲麻呂の乱に際し、孝謙上皇は反乱の無事平定を四天王に祈願された。反乱鎮圧の翌年、称徳天皇として重祚(ちょうそ)された女帝は、その誓いを果たすべく造像を進め、自ら鋳造にも加わって金銅製四天王像を造立されたと伝える。その後、たびたびの罹災で損傷し、現在の像は後世(室町時代頃カ)の補作(多聞天のみ木造、他は銅造)。但し、足元に踏みつける邪鬼はいずれも奈良時代創建当初の造形を伝えており、現存する唯一の創建期彫刻として貴重である。