光明真言土砂加持大法会

 光明真言会は、叡尊上人が文永元年(1264)に一門結束と民衆廻向を二大眼目にして創始した一門の最重要法会であります。  真言(マントラ、呪・陀羅尼とも)とは諸仏への祈願句であるとともに、諸仏の悟りの境地を端的に示す呪文であり、密教では真言の念誦経によって行者が本尊と一体となって仏になること(即身成仏)を目指します。叡尊上人の終生の信仰の根本は真言密教であり、中でも特に意を注いだのが光明真言の信仰でした。  「オン・アボキャ・ベイロシャナウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」 この梵字23文字からなる光明真言は、密教の教主・大日如来の秘密心呪で一切諸仏菩薩の総呪とされ、古来最も重視されてきました。直訳すれば、「帰命し奉る、空しからざる遍照尊よ、偉大なる印相よ、摩尼宝珠と蓮華の光明を回らしたまえ」という意味に解されます。  経典には光明真言の功徳として「抜苦与楽」「罪障消滅」そして本呪をもって土砂を加持して尸骸や墓上に散ずれば亡者は直ちに極楽往生できるとする「亡者往生」が説かれています。こうした功徳への信仰は、既に九世紀後半に認められますが、本格的浸透は平安中期以降で、「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽往生できるとする浄土教の称名念仏の普及と同軌の現象でありました。  特に京都栂尾高山寺の明恵上人は、多くの著作を通じて光明真言信仰の宣布に尽力しましたが、それを承けて戒律の衆生救済の精神に基づき、この真言の功徳を広く民衆に波及すべく叡尊上人によって創始されたのが西大寺の光明真言土砂加持法会であります。まさしく密教の陀羅尼唱誦の信仰と戒律の饒益衆生の精神との邂逅の下で生み出された宗教セレモニーでありました。  文永元年(1264)、本願称徳女帝の御忌9月4日を開白日とし7日間昼夜不断の法要として始修された光明真言会は、西大寺一門の遠近末寺の僧衆が万事をなげうって遅参なく必ず参勤すべきものとされ、一門結束の場でもありました。恒例化に伴い法会運営に莫大な経費が必要となりましたが、創始以後30年の間に、光明真言料として西大寺に寄進された田地の総数は実に73町弱に及び、西大寺一門の最重要行事として年々盛況を呈していった様子がうかがわれます。  当初9月であった期日は、叡尊入滅後、その忌日8月25日を結願日とする7日間に変更されました。以来連綿とこの日程で修されてきましたが、明治43年以降は旧暦の廃止に伴い10月1~8日に改められ、鎮守八幡宮の秋の祭礼とも連動して、近在の住民からは俗に「こめしご」と訛り称されて、参拝者で大いに賑いました。ところが昭和17年戦中時局の諸事不如意から10月3~5日の3日間に短縮されて、そのままの日程で今日に及びますが、その精神と法会の形式は伝統を踏みはずすことなく毎年厳修され続けています。

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